小田原鋳物の歴史は、北条氏に奨励されたのが始まりとされています。 仏具、仏像、鉄砲や陣笠、鍋や釜の生活用品まで、今では想像できないほど、鋳物の需要は高く、大久保氏の時代になると、小田原の鋳物工業はとても繁栄し、相模の国の半数以上の鋳物の生産量を誇るまでになりました。 江戸時代、最も鋳物が盛んであった頃には夜中から起きて仕事にかかるため、鋳物師の住む鍋町(現在の浜町の一部)の各所からあがる炉の炎が火事の様に夜空に映えて、遠く大磯・平塚あたりから見えたそうです。
小田原鋳物は、その後、船の号鐘や寺の梵鐘、楽器のシンバルなどにも利用され、世界中に輸出された時期もありました。また、「鳴り物」として大変評判が高く、国会議事堂で議長が使用する振鈴や新宿御苑の鐘、さらには、黒沢明監督の映画「赤ひげ」に登場する風鈴も小田原鋳物で作られています。
『砂張り(さはり)』と呼ばれる銅合金を、『湯』(金属)の状態や気温などの変化に注意しながら鋳込んでいきます。
匠がつくる工程を動画で見ることができます。普通では見ることのできない匠の技を御覧下さい。

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